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佐左木俊郎「喫煙癖」定山渓鉄道が走った「豊平駅跡」を訪ねる

市電終点豊平駅跡

札幌の場末の街

札幌の場末の街、豊平を出た無蓋二輪の馬車が、北を指して走っている砂利道を、月寒の部落に向けてがたごとと動いて行った」。
佐左木俊郎の掌編小説「喫煙癖」は豊平を舞台として始まる。豊平が物語の始まりの舞台となっているのは、かつてこの地域が札幌と月寒とをつなぐターミナル的な役割を果たしていたことによるものと思われます。当時、平岸方面からは定山渓鉄道が走り、すすきのからは市電が走っていました。月寒にまで用事のある人は、豊平で馬車に乗り替えて移動することが多かったようですね。

豊平が「札幌の場末の街」とされているのは、当時、この地域が札幌近郊でも特に顕著な貧困地域だったことを示唆しています。困窮にあえぐ人々は、最初すすきの周辺で生活していましたが、やがて豊平川を越えて豊平地区にまでその居住区は拡大しました。昭和2年に北海タイムスで連載された「郊外繁盛記」の中でも、豊平は「馬糞の町、鍛冶屋の町、貧民長屋の町」として紹介されています。もっとも、定山渓鉄道の豊平駅が賑わうようになってからは、街の雰囲気も大きく変わったそうですが。

佐左木俊郎のこと

佐左木俊郎は宮城県出身の作家で、15歳の時に北海道に渡り、機関士として勤めています。いわゆる農民文学の名手として有名で、葬儀の際には川端康成が追悼の辞を述べるなど、その死は文壇から悼まれたそうです。

あらすじ

さて、物語は、豊平から月寒へと向かう馬車に乗り合わせた「五十近い婆さん」と「同じ年ごろの爺さん」との会話で展開していきます。この作品が発表された昭和6年当時、50歳に近い人たちは「お爺さん」であり「お婆さん」であったのだ!(笑)

愛煙家のお爺さんは10代の頃、札幌停車場の売店で煙草を売っていたかわいい娘に恋をしました。恋しい娘に会いたい一心で毎日のように煙草を買いに出かけていたため、今でも煙草の煙の中に娘の顔が浮かんでくるのだといいます。その話を聞いたお婆さんは、売店で煙草を売っていた娘は自分だと明かします! そして、当時、少年にもらった真鍮の指輪を片時も離さず身に付けているというエピソードまで。

その指輪は、鉄道の機関士だったお爺さんが「機関車のパイプを切ってこしらえた指輪」でした。「銅貨の中へ混ぜて、貴方がこれを私にくれて、顔を赤くしながら逃げるようにして走って行ったのを、今でも覚えていますよ」とお婆さんは懐かしそうに語り、やがて馬車は月寒の街へと入っていくという物語です。

いささか漫画じみたストーリーだけど、ひとつの純愛浪漫としては夢のある物語ですよね。

豊平駅前今昔の記念碑

今回はこの作品の舞台となった豊平の、定山渓鉄道「豊平駅跡」を訪ねてみました。貨物輸送の手段が鉄道から陸送へと切り替わる中、札幌オリンピックの開催を控えて進む地下鉄の整備計画に合わせる形で、昭和44年、定山渓鉄道は廃止になります。当時の写真を見ると、最終日の豊平駅は鉄道との別れを惜しむ多くの市民でごった返すほどだったようですね。

あれから50年が経ち、ここに鉄道駅舎があったことを示す痕跡はほとんどありませんが、国道36号線との合流地点が不自然な一歩通行になっているのは、かつてここが駅前ロータリーであった名残だと思われます。その駅前ロータリーの真ん中に残された孤島のような緑地帯には「豊平駅前今昔」と書かれた立派な記念碑があります。豊平地区町内会連合会の創立五十周年を記念して、平成30年10月に建立されたものだか。近くで見たかったけれど、雪に阻まれて近寄ることができませんでした。北海道冬の文学散歩あるあるです(笑) 春になったら、改めて訪問してみようと思います。

市電終点豊平駅跡の記念碑

さらに、かつて駅前商店街があったと思われるところに「市電終点豊平駅跡」の記念碑があります。札幌市電豊平線もまた、時代の移り変わりに飲み込まれるようにして、昭和46年に廃止となりました。札幌オリンピックの開催を機に大きな影響を受けた地域が、ここにもあったんですね。

なお、定山渓鉄道は昭和48年に「じょうてつ」として生まれ変わり、かつて豊平駅があった場所には、じょうてつの大きなマンションが建っています。こんなふうに文学散歩しているとオタクの自尊心が満たされます(笑)それでは、また!

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ささら
ささら
札幌大市民。18歳のとき、住みたい街ランキング1位の札幌に移住。カフェ巡りと文学散歩を軸に、季節の札幌散策を楽しんでいます。札幌ステラプレイスが大好き。
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