読む

原田康子「雪の降る街」から昭和39年の札幌を想う

札幌はまさしく雪の降る街だった

札幌の雪は釧路の雪のようにたけだけしくはなかった」と原田康子は言う。札幌の雪は「ひらりひらりと、あるいはこんこんと、静かにやさしく降りつもった」らしい。もっとも、札幌の「雪はなかなかやまない」。釧路からやってきたこの女流作家にとって「札幌はまさしく雪の降る街だった」のだ。昭和39年の新聞に掲載されたこの短いエッセイ「雪の降る街」は、当時の札幌の冬を静かに語り継いでくれるかのようだ。

札幌が雪の降る街であることは、札幌の人間にとって当たり前のことでしかない。けれども、雪の少ない街で生まれ育った人にとっては、その「雪の降る街」がよほど印象的だったのだろう。札幌をあえて「雪の降る街」と表現するところに、札幌の人にはない繊細な感覚が現れている。当たり前のことを「当たり前のこと」として見逃してしまわない感覚。もっとも、その作者でさえも札幌暮らしが長くなるにつれて「今では雪を見てもどうということはない」ようになったらしい。雪を新鮮に感じる旅人の視線がうらやましい気もする。

そういえば、いつだったか旭川の夜の街を歩いているとき、静かな雪がとめどなく落ちてくる光景に感動したことがある。一面の雪景色の中、これでもかというくらいに雪が降り続いていて、しかも街は異様なくらいの静寂に包まれていた。きっと旭川で暮らしてしまえば、そんな光景にもいつか慣れて、当たり前のものになってしまうのかもしれない。旅人の感動だけは、いつまでも忘れずに持ち続けたいと思っているけれど、実際の暮らしの中ではいろいろなことを失い続けているんだろうなあ。

大通公園のスケートリンク

ところで、「雪の降る街」によると、その頃、大通公園にはスケートリンクがあったらしい。「スケーターワルツが流れていて、若い男女が氷の上に輪を描いていた」という。釧路育ちの作者も滑りに行ったそうだけど、大通公園でスケーターワルツというのは、今から考えてみても何とも優雅な光景だと思う。

北海道の人間はスキーもスケートも上手だというイメージがあるかもしれないけれど、北海道は非常に広くて、スキー文化の地域とスケート文化の地域が分かれている。一番分かりやすいのは学校の体育の授業で、スキーの学校とスケートの学校とがある。だから、北海道育ちの人間でもスキーができなかったり、スケートができなかったりということは、特別に珍しいことではない。僕自身スキー場の麓で育った人間だから、未だかつてスケート靴を履いたことがない(もちろん滑れないと思う)。

最近はさっぽろ雪まつりの季節にだけ、大通公園にスケートリンクが登場していたような気がする。もちろん、地元の若い男女が滑るはずもなく、観光の家族連れが冬の北海道を体験するスポットといったところだろうか。札幌の冬を体験するのであれば、やはりスキーだと思うけれども、旅人が気軽にスキーを体験できるスポットというのは、まだないようである。大通公園に雪山を作ってスキーを貸し出せば、意外と外国人観光客には受けるかもしれない。

大通公園でスケートをしながら、作者は「まわりのビル街も雪に表情をやわらげられて、私はようやく冬の札幌に親しみを感じた」という。札幌オリンピックで激変した札幌の街のことである。作者が見た札幌のビル街は、現在の札幌にあるビル街とは、全然違うものなんだろうなあ。

ABOUT ME
ささら
ささら
札幌ソロ活代表。18歳のとき、住みたい街ランキング1位の札幌に移住。カフェ巡りと文学散歩を軸に、季節の札幌散策を楽しんでいます。好きな言葉は「振り出しに戻る」。
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。