札幌護国神社には「遺品殿(いひんでん)」があります。多くの英霊が遺した遺品は、何を物語っているのでしょうか。
札幌護国神社は英霊を祀る
札幌護国神社は、戦没者の英霊を祀っている神社です。もともとは、西南の役(明治10年)で亡くなった屯田兵の慰霊を目的に建立されたのが始まりです。
当初は、北6条西7丁目にある偕楽園前に招魂碑が建立されましたが、明治44年に中島公園に移転、昭和8年には現在地に神殿が造営されました。現在は屯田兵だけではなく、多くの戦病役者や殉職警察官、殉職消防官の霊が合祀されています。
特に、多数の戦没者を出した太平洋戦争に関わる英霊は、今なお護国神社で安らかに眠り続けているのです。
英霊の遺品を展示する「遺品殿」
札幌護国神社には、戦没者の遺品を展示する「遺品殿」があります。「遺品殿」は札幌護国神社本殿の地下に整備されており、「彰徳苑みたま祭」や「例大祭」などの行事に合わせて一般開放もされています。

遺品は、実際に遺族から提供を受けたものがほとんどで、一つ一つの展示品に、戦死した若者たち一人一人の短い人生のドラマが刻まれています。これは「名もなき兵士たち」の遺品ではなく、紛れもなく一つの時代を生きた若者たちの壮絶な人生の証です。
「遺品殿」は一般見学できる
「遺品殿」は札幌護国神社本殿の地下にあります。本殿に向かって右側に「遺品殿」への入り口があります。
一般開放されているときは、扉が開けられているので、そのまま中に入りましょう。館内に入ると、すぐに地下室へ降りていく階段があります。見学の際には「遺品殿」入り口で記帳しましょう。
ちなみに、一般開放期間以外の場合でも、電話で予約しておくと見学できます。
「遺品殿」は本殿の地下室にある
「遺品殿」がある地下室は、2室に分かれています。地下室への入り口がある本室は広くて、様々な戦没者の遺品が展示されています。
展示品は、日露戦争から太平洋戦争まで多岐に渡っていますが、中心はやはり多くの戦死者を出した太平洋戦争です。
本室から奥へと進むと、さらに別室があります。
別室では、靴を脱いで見学する形になっています。おごそかな雰囲気が伝わってきます。
遺品には英霊一人一人の歴史がある
展示品には、戦死者の遺影を始め、遺書、軍服・軍帽、出征時の寄せ書き、従軍記章など様々なものがあります。中でも、兵士一人一人が生きていた証明とも言える遺影には無言の迫力があります。
遺影の兵士には若者が多く、戦争の悲惨さを感じないではいられません。
英霊を祀るということ
英霊を祀るということは、戦没者を神格化し、戦争を正当化するということではないと思います。戦争の是非は別にして、多くの若者たちはそれが「国のためなんだ」と無理にでも信じ込んで、参加したいはずもない戦争に参加し、死にたいはずもない戦場で死んでいきました(正確に言うと「殺されていった」)。
彼らの死の責任を国家に求めることは簡単ですが、彼らの死を弔うことは、国の責任を追求することとは、また別のことなのではないでしょうか。私たちは戦争の歴史を(あるいは、戦争で殺されていった兵士たちの人生を)もっと深く知るべきだと感じています。
「遺品殿」には遺骨収集団の記録がある
「遺品殿」には、いわゆる遺品以外にも、遺骨収集団に関する記録も多数展示されています。特に悲惨を極めたアッツ島やサイパン島、沖縄本島から持ち帰られた砂や小石などには、戦没者たちの無念の魂が刻まれているようです。
まとめ
戦争の歴史というと、国と国との政治的な争いというイメージがありますが、実際に戦死した若者たちの遺影や遺品を眺めていると、戦争とは一人一人の人間の死の上に成立しているものであることを、否応なく実感させられます。
そして、今私たちが生きている平和な社会は、戦争で亡くなった英霊たちの壮絶な死の積み重ねによって築かれているということも、決して忘れてはいけないと思います。
戦争の歴史が遠くなった今こそ、札幌護国神社を訪れてみてはいかがでしょうか。
