旧・札幌ピープル

有島武郎「お末の死」札幌の貧民街に生きる少女の悲劇

札幌遠友夜学校跡地

札幌農学校出身の小説家・有島武郎は、札幌を舞台とした作品を残しています。

札幌遠友夜学校での経験を元にした「お末の死」では、大正時代の札幌の貧民街で生きる人々の暮らしが描かれています。

「お末の死」の舞台は遠夜夜学校周辺だった

主人公のお末は、札幌遠友夜学校に通う14歳の少女です。

作品中では、夜学校に関する記述が次のようにあります。

お末は実際まめまめしく働くやうになつた。心の中には、どうかして胡瓜を食べたのを隠して居る償いをしようと云う気がつきまとって居た。何より楽しみに行きつけた夜学校の日曜日の会にも行くのをやめて、力三の高下駄を少し低くしてもらって、それをはいて兄を助けた。

夜学校は、一体どのような地域にあったのでしょうか。

それは、次のような文章から推察することが可能です。

然し働いた挙句、ぐっすり睡入ったお末の喉は焼け付く程乾いて居た。札幌の貧民窟と云われるその界隈で流行り出した赤痢と云う恐ろしい病気の事を薄々気味悪くは思いながら、お末は力三の手から真青な胡瓜を受取った。

札幌の貧民窟」という表現からも分かるように、大正時代のこの頃、豊平川に近いこの辺りは、札幌市内でも特に貧しい人々が集まってきて暮らしている地域だったようです。

札幌遠友夜学校の卒業式(明治45年)札幌遠友夜学校の卒業式(明治45年)

遠友夜学校を作ったのは新渡戸稲造だった

札幌遠友夜学校の創設者は、札幌農学校の新渡戸稲造教授でした。

新渡戸教授は妻メリー夫人の実家に引き取られて育った孤児の女性から遺贈された1000ドルを元に、勤労青少年や晩学者のために、無料の私設夜間教育施設を開設しました。

札幌遠友夜学校の活動札幌遠友夜学校の活動

明治43年の新聞記事によると、生徒は120名のうち多くは女子で、生徒の身分は丁稚、子守、女工、給仕、自家手伝いなどであったそうです。

札幌遠友夜学校を紹介する新聞記事(明治43年)札幌遠友夜学校を紹介する新聞記事(明治43年)

この頃、校長は新渡戸博士でしたが、新渡戸博士は東京にいることが多いため、農科大学の有島武郎教授が代理を務めていると、新聞記事は紹介しています。

新渡戸稲造記念公園にある新渡戸博士の顕彰碑新渡戸稲造記念公園にある新渡戸博士の顕彰碑

有島武郎が、夜学校に通う貧しい人々を題材として小説を書こうと思い立ったとしても、全然不思議ではありませんよね。

遠友夜学校の跡地は公園になっている

かつて遠友夜学校があった場所は、現在「新渡戸稲造記念公園」になっています。

新渡戸稲造記念公園新渡戸稲造記念公園

遠友夜学校は戦争末期の昭和19年、国家総動員法による閉校命令を受けて50年の歴史に幕を閉じます。

校舎は逓信省に強制貸与されますが、戦後間もなく火災により焼失しました。

その後、北海道中央児童相談所が建設され、さらに昭和39年には勤労青少年ホームが建設されました。

新渡戸稲造記念公園新渡戸稲造記念公園

その勤労青少年ホームも時代の役割を終えて、現在は記念公園となっています。

新渡戸稲造記念公園にある札幌遠友夜学校の説明板新渡戸稲造記念公園にある札幌遠友夜学校の説明板

いずれは、この地に「札幌遠友夜学校記念館」を建設する計画があるみたいですね。

お末のモデルは実在した

主人公の少女「お末」には実在のモデルの存在があったと言われています。

瀬川末という名の少女は、遠友夜学校で有島教授の教え子でした。

有島教授は彼女の身の上を案じて、遠友夜学校卒業後も彼女との面会を続けますが、末は私生児を産んだ後に自殺するという悲劇的な最後を遂げています。

貧困がもたらす悲劇を、有島教授は訴えずにいられなかったのではないでしょうか。

お末の家は豊平川の近くだった

お末の家は、豊平河畔に近い貧民街の中にありました。

実際に、札幌遠友夜学校跡から豊平川まで歩いてみると、本当にすぐ近くでした。

札幌遠友夜学校近くの豊平河畔札幌遠友夜学校近くの豊平河畔

小説の中では次のような描写があります。

昼過ぎに力三は裏の豊平川に神棚のものを洗いに出された。暑さがつのるにつれて働くのに厭きて来たお末は、その後からついて行った。広い小砂利の洲の中を紫紺の帯でも捨てたように流れて行く水の中には、真裸になった子供達が遊び戯れて居た。

お末の家が、本当に豊平川のすぐ近くにあったことが分かります。

豊平川の土手から見下ろす町並み豊平川の土手から見下ろす町並み

いかがでしたか

「お末の死」はあくまでもフィクションの小説ですが、その背景には、近代札幌が持っていた社会的な課題が深く横たわっています。

貧民窟は解消されたとされていますが、貧困問題は今の社会でも大きな課題の一つだと思います。

お末の死は、決して遠い世界の物語ではないのです。

有島武郎「お末の死」は青空文庫で読むことができます。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000025/card49934.html

https://sukidesu-sapporo.com/2019/02/15/chiisakimonohe/

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kels
札幌住み歴38年目。「楽しむ」と「整える」をテーマに、札幌ライフを満喫しています。妻と娘と三人暮らし。好きな言葉は「分相応」。