北海学園大学の入学式に、栗山監督が講演をしたらしいですね(会場はきたえーる)。
ちょうど、その頃、僕は、北海学園大学の裏側をぶらぶらと歩いていました。
水車町ぶら散歩です。
岡田有希子が飛び降り自殺で死んだ日
札幌で一人暮らしを始めたその日に岡田有希子が自殺した。
その日の午後のテレビのワイドショーは、若いアイドル歌手の飛び降り自殺で、ヒステリックに盛りあがっていた。
岡田有希子は、僕と同い年だったらしい。
何となく気になって、翌日、僕はスポーツ新聞を買いに出かけた。
札幌で初めての下宿は、大学のすぐ裏手にあった。

当時、北海学園大学の最寄り駅は、地下鉄南北線の中島公園駅で、南大橋で豊平川を越えた学生は、校舎の裏側から大学へ入るルートが一般的だった。
通りに面した二階の窓に腰掛けながら、僕は次々と登校してくる学生の群れを見ていたものだ。
驚くべきことに、僕が札幌で最初に住んだ小さな下宿屋の建物は、今もまだ健在だ。
四畳半が四部屋。
賄付きのこの小さな下宿屋には、地方出身の新入生ばかりが四人暮らしていた。
二年生になる頃にはマンションへ移ってしまうので、こういった下宿屋には、常に一年生ばかりが暮らしていたらしい。
あの日、初めての街を散歩する楽しさで、僕はぶらぶらと歩きながら、スポーツ新聞を売っている店を探した。
下宿から通りに入ると、そこは「水車町」という名前の町だった。
旭水市場とサンハイツ木の花の水車町
「旭水市場」という大きな建物の名前は、「旭町」と「水車町」という二つの町の名前から名付けられたものらしい。

そこは平凡な住宅街としか言いようのない静かな町だった。
お店らしいお店のない道を、僕はまっすぐに歩いた。
突然、お城みたいに尖った黄色の屋根を持つ大きな建物が現れた。
最初、誰もが、このマンションをラブホテルだと思う。

1974年(昭和49年)に建築されたサンハイツ木の花は、水車町を代表するランドマークだ。
「木の花(このはな)」というのは、近所にある古い団地(木の花団地)に付けられた名称で、昭和30年代のはじめ、果樹園だったところを住宅街へと切り開いて以降、この辺りは「木の花」と呼ばれるようになったらしい。
このマンションのお城みたいに豪華な屋根を見つけるたび、僕は、水車町へと帰ってきたような気持ちになる。
交差点にあるラルズ(現在は東光ストア)のビルを通り過ぎたところに、当時は個人経営の酒屋さんがあった。
みのるや商店という名前の小さな酒屋で、確かに僕はスポーツ新聞を買ったはずだ。
一面トップで岡田有希子の自殺をスキャンダラスに報じるスポーツ新聞を何種類かまとめて。
だから、僕にとって、札幌で一人暮らしを始めたときの最初の記憶は、岡田有希子と黄色い屋根のマンションとみのるや商店で構成されている。

昨日、久しぶりに、あの日と同じルートを歩いてみたけれど、水車町は、あの頃と何も変わっていないように思えた。
あるいは、あの頃も静かな町だったけれど、今では、もっと静かな町になっているのかもしれない。