5月末日、札幌市内の東区にある「林檎の碑」を訪ねてみました。
林檎の花は、もう散ってしまっていたけれど、爽やかな風の中、石川啄木散策を楽しむことができました。
石狩の都の外の/君が家/林檎の花の散りてやあらむ
石川啄木の歌集「一握の砂」の中に、こんな歌があります。
石狩の都の外の/君が家/林檎の花の散りてやあらむ(石川啄木「一握の砂」)
「石狩の都」というのは、もちろん札幌のことで、その札幌の外に「君の家」があります。
「君」というのは、啄木が函館市内で代用教員をしていたときに同僚の女性教員だった橘智恵子さんのことです。
既婚者だった啄木は、函館で出会ったこの女性教員に、終生思いを寄せていたとも言われていますが、その橘智恵子さんの実家が「石狩の都の外の君が家」です。
現住所は「札幌市東区北11条東12丁目15番地」と札幌市内なのですが、啄木が在札していた当時、この辺りは「札幌村」と呼ばれる独立したひとつの村でした。
「札幌村」が「札幌市」に編入されるのは1955年(昭和30年)のことなので、歴史的には「札幌市」ではない時代の方が長いということになります。
明治時代、この辺りには広大な果樹園が広がっていたらしく、橘智恵子さんの実家も裕福な林檎農家だったようです。
函館大火で焼け出された啄木は、明治40年9月に札幌へ転居しますが、仕事に満足できず、結局わずか2週間の滞在で、小樽へと移り住んでしまいます。
人の妻にならぬ前に、たった一度でいいから会いたい!
石川啄木が橘智恵子さんを思う気持ちは、かなり異常なものだったようです。
先ほどの「石狩の都の外の/君が家/林檎の花の散りてやあらむ」の歌は、啄木のデビュー歌集『一握の砂』に収録されているものですが、『一握の砂』を組み立てている大きな章のうち「忘れがたき人々 二」は、橘智恵子さんを歌った22首で構成されています。
歌集の中のひとつの章が、一人の女性のために歌った作品で占められているなんて、あまり尋常な感じはしません。
「君に似し姿を街に見るときの/こころ躍りを/あはれと思へ」「死ぬまでに一度会はむと/言ひやらば/君もかすかにうなづくらむか」「わかれ来て年を重ねて/年ごとに恋しくなれる/君にしあるかな」などという恋の歌と並んで、「石狩の都の外の/君が家/林檎の花の散りてやあらむ」の歌も発表されました。
妻に読まれぬようにローマ字で書き記した日記にも、智恵子さんは登場します。
おととい来た時は何とも思わなかった智恵子さんの葉書を見ていると、なぜかたまらないほど恋しくなってきた。「人の妻にならぬ前に、たった一度でいいから会いたい!」そう思った。
智恵子さん!なんといい名前だろう!あのしとやかな、そして軽やかな、いかにも若い女らしい歩きぶり!さわやかな声!
二人の話をしたのはたった二度だ。一度は大竹校長の家で、予が解職願いを持っていった時、一度は谷地頭の、あのエビ色の窓かけのかかった窓のある部屋で—そうだ、予が『あこがれ』を持っていった時だ。どちらも函館でのことだ。
ああ! 別れてからもう20か月になる!
「ローマ字日記」石川啄木(1909年)
妻子持ちの良い年をした大人が「他人の嫁になる前に会いたい!」と綴るほどですから、その思いは相当のものだったのかもしれませんね。
橘智恵子の実家の「林檎の碑」
さて、そんな橘智恵子さんの実家には、今も「林檎の碑」なる記念碑が残されています。

かつて広大な農村だった札幌村も、今では普通の住宅地となっており、果樹園だった時代を偲ぶことはできません。
それでも、かつて果樹園を営んでいた橘家の前には、立派な「林檎の碑」がありました。
いくら啄木最愛の人とはいえ、啄木は妻滞者であり、智恵子さんも他へ嫁いだ人妻ですから、家族の方々にとってみると、公に啄木について語ることは拒まれたのではないでしょうか。

碑には「林檎の碑」と大きく書かれていて、ここにかつて林檎園があったことを偲ぶ内容となっています。
そして、その中に、ここがかつて石川啄木によって詠われた地であることに触れられていました。
本当は、林檎の花が咲いている季節に訪ねてみたかったのですが、自粛生活の中で文学散歩をすることもできず、取材に訪れたとき、既に林檎の花は散り終わっていました。

まさしく「林檎の花は散りてやあらむ」だったわけです。
林檎園の面影を残す札幌軟石づくりの倉庫
橘智恵子さんの実家に設置されている「林檎の碑」は、いつでも見学できるようになっていますが、決して公共施設というわけでもないので、最初は見つけにくい場所にあると思います。
「ボーイスカウト会館」なる古い建物が道路に面して建っているので、その建物に向かって右側の小道を進んでいくと、「林檎の碑」があります。
それにしても、さすがに札幌村界隈、かつて農村だった時代に造られたと思われる札幌軟石づくりの立派な倉庫が、いくつもありました。

しかも、それらがいろいろな形で再利用されているからすごい。
「果樹園を偲ぶものはない」と書きましたが、こうした札幌軟石づくりの倉庫群は、かつてこの地が果樹園だった面影を残す、立派な証人ということができそうです。

「林檎の碑」を見学する際には、こうした札幌軟石づくりの倉庫も一緒に見学すると、石川啄木が生きていた時代を体感することができそうです。
今日のつぶやき
中心街を少し離れただけで、札幌の街は趣をすっかりと変えてしまいます。
もともと違う街として歴史を重ねてきたためなのか、あるいは、かつて農村だったという札幌村の風土が育んだものなのか、いわゆる「札幌」とは異なる空気感が、「旧・札幌村」には漂っているようです。
橘智恵子さんの実家の近くには「すずかけ公園」という名の公園がありました。
「すずかけ」とはプラタナスのことですが、果たして、公園の中でプラタナスの大樹2本を発見。
久しぶりに気持ちの良い文学散歩となりました。
