旧・札幌ピープル

芥川龍之介が「マヨネーズをかけて食べたい」と言った新緑の植物園を歩く

芥川龍之介も訪れた北大植物園の新緑

新緑の季節です。

昭和初期に、文豪・芥川龍之介も訪れたという北海道大学植物園を訪ねてみませんか。

芥川龍之介は昭和初期に来札

文豪の芥川龍之介が札幌を訪れたのは、昭和2年5月のこと。

芥川は昭和2年7月に自殺して亡くなっているので、自殺のわずか2か月前に札幌を訪れていたということになります。

このとき、芥川は里見弴と一緒に「講演旅行」と称して東北から北海道を回りました。

講演の目的は「現代日本文学全集(改造社)」の宣伝のため。

実はこの年の1月、姉の夫が多額の借金を残して自殺しており、芥川は借金返済や遺族の面倒を見るために金策に走り回っていたとも伝えられています。

新緑の美しい初夏の北海道旅行でしたが、芥川にとっては決して気楽な旅行ではなかったのかもしれません。

札幌では北大と大通小学校で講演

5月17日、函館で講演した芥川らは、夜行列車に乗って移動、翌18日の朝早くに札幌に到着。昼は北海道大学で「ポオの美学について」講演を行い、さらに夕方には大通小学校にて「夏目先生の事ども」の演題で講演を行っています。

芥川龍之介の講演を伝える北海タイムス(昭和2年5月17日)芥川龍之介の講演を伝える北海タイムス(昭和2年5月17日)

そして、19日の朝には旭川に向けて出発していますから、芥川が北大植物園を訪ねたのは、5月18日のことだったと思われます。

いずれにしても新緑の美しい季節ですよね。

北大植物園の看板北大植物園の看板

そのときの印象を、芥川は次のように記しています。

札幌――クリストは上に、大学生は下に、・・・「すすき野」と云ふ遊廓どこですか?

又――あの植物園全体へどろりとマヨネエズをかけてしまへ。
(傍白。――「里見君、野菜だけはうまいでせう。」)

又――孔雀は丁度キヤンデイの樣に藍色の銀紙に包まれてゐる。
又――有島武郎氏はポケツトの中にいつも北海道の地図を持つてゐる。

「東北・北海道・新潟」芥川龍之介(1927年)

植物園全体にマヨネーズをかけて食べてしまいたいと思えるくらい、札幌の新緑は芥川の心に強く響いたようです。

北大植物園の芝生北大植物園の芝生

もっとも、同行者の里見弴に「野菜だけはうまいでしょう」とささやいているように、北海道の食べ物の印象は良くなかったみたいですね。

北海道旅行ではホッキ貝ばかり食べていた?

芥川が北海道旅行の食事にうんざりしていた理由は、別の記録で明らかになります。

これは「講演軍記」というタイトルで、旅行の翌6月に発表された紀行文です。

僕が講演旅行へ出かけたのは今度里見弴君と北海道へ行つたのが始めてだ。入場料をとらない聴衆は自然雑駁(ざっぱく)になりがちだから、それだけでもかなりしやべりにくい。そこへ何箇所もしやべつてまはるのだから、少からず疲れてしまつた。然し講演後の御馳走だけは里見君が勇敢に断わつてくれたから、おかげ様で大助かりだつた。

「講演軍記」芥川龍之介(1927年)

この部分からは、講演が無料であること、そのために聴衆のレベルが低くザワザワしていたこと、講演旅行にかなり疲弊していたこと、講演後の食事を断っていたことなどが分かります。

改造社の山本実彦君は僕等の小樽にゐた時に電報を打つてよこした。こちらはその返電に「クルシイクルシイヘトヘトダ」と打つた。すると市庁の逓信課から僕等に電話がかかつてきた。

僕は里見君のラジオ・ドラマのことかと思つたから、早速電話器を里見君に渡した。里見君は「ああ、さうです。ええ、さうです」とか何とか云ひながら、くすくすひとり笑つてゐた。

それから僕に「莫迦莫迦しいよ、クルシイクルシイですか、ヘトヘトだですかときいて来たんだ。」と云つた。こんな電報を打つたものは小樽市始まつて以来なかつたのかも知れない。

「講演軍記」芥川龍之介(1927年)

これは、小樽から改造社の山本実彦に電報を打ったときのエピソードです。

「苦しい苦しい、ヘトヘトだ」という電文に、小樽の電報係の担当者が驚いて、確認の電話をかけてきています。

講演にはもう食傷した。当分はもうやる気はない。北海道の風景は不思議にも感傷的に美しかつた。

食ひものはどこへたどり着いてもホツキ貝ばかり出されるのに往生した。里見君は旭川でオムレツを食ひ、「オムレツと云ふものはうまいもんだなあ」としみじみ感心してゐただけでも大抵想像できるだらう。

雪どけの中にしだるる柳かな

「講演軍記」芥川龍之介(1927年)

最後の部分は、北海道についての印象です。

講演には、もう相当に参っていることが伝わってきますね。

「北海道の風景は不思議にも感傷的に美しかった」とあります。

「感傷的に美しい」という部分に、芥川の心理状況が反映されていたのかもしれません。

おもしろいのは、締めの部分でしょう。

北海道ではどこに行っても「ホッキ貝」が食事として提供されていたらしく、芥川と里見の二人はこのホッキ料理の連続にかなり参っていたようです。

芥川は旭川のオムレツを美味しいと言った」という伝説がありますが、それはちょっとした誤解です。

どこに行ってもホッキ貝ばかり食べさせられていたので、東京の人間にとっては全然珍しくもないオムレツが美味しく感じられたという、芥川のジョーク(というか皮肉)だったと解すべきでしょう。

まとめ

結局、北海道旅行から戻って2か月後に芥川は自殺、二度と北海道の地を訪れることはありませんでした。

せっかくの北海道旅行であれば、金稼ぎのためではなく、純粋に旅行や取材で訪れたかったのではないでしょうか。

北大植物園は今も、芥川や里見が訪れた時と同じように、新緑の瑞々しい風景を見せてくれています。

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kels
札幌住み歴38年目。「楽しむ」と「整える」をテーマに、札幌ライフを満喫しています。妻と娘と三人暮らし。好きな言葉は「分相応」。