旧・札幌ピープル

有島武郎「小さき者へ」の舞台は札幌白石区菊水の小さな借家だった

小さき者へ

何だか史上最上級の寒波が頻繁に到来する今年の札幌ですが、猛吹雪の夜など、自然の猛威は恐ろしいと感じることがあります。

もちろん、現代の僕たちは寒冷地仕様にしっかりと整備された住宅で暮らしているから、少なくとも家の中にいて生命の危険を感じることは、ほとんどないわけですが、住宅事情の良くなかった昔の吹雪は、現代とは比べ物にならないくらい恐ろしかったでしょうね、きっと。

そんな夜に思い出す小説が、今日のテーマです。タイトルは「小さき者へ」。

不倫相手と心中したいわくつきの文豪、有島武郎の名作ですよ。

有島武郎ってどんな作家?

小説「小さき者へ」の作者、有島武郎(ありしまたけお)は、1878年(明治11年)、東京小石川(現在の文京区)に生まれました。

学習院中等全科を卒業後、1896年(明治29年)札幌農学校に進学、ここから札幌と有島武郎との深い関係が始まります。

有島が札幌の学校に進学した背景としては、新渡戸稲造の存在と、農業革新に対する高い志があったと言われています。

当時の北海道は日本の中のアメリカみたいな存在だったようですね。

ちなみに、札幌転居当初は新渡戸稲造の官舎に居候するなど、二人の密接な関係もこの時期に築かれています。

札幌農学校在学中には、遠友夜学校や札幌農学校の校歌を作るなど文芸面でも活躍。

卒業後は兵役を経て海外留学、アメリカやフランス、ロンドンなどを巡ります。

帰国後、母国である札幌農学校(当時は東北帝国大学農科大学という名前に変わっていましたが)で教鞭を執ります。

31歳で結婚、3人の子をもうけますが、1914年(大正3年)、肺結核に罹患した妻の治療のため東京に移住、学生時代を過ごした札幌の地を離れました。

妻の死後、本格的に創作活動にいそしみ、多くの名作を生み出しますが、1923年(大正12年)、人妻である波多野秋子とともに、軽井沢の別荘で首吊り自殺して亡くなりました。

享年45歳の男盛りの時でした。

代表作として「生れ出づる悩み」「カインの末裔」「或る女」など多数。

文壇では武者小路実篤や志賀直哉らと交流をもち、白樺派の作家として知られています。

「小さき者へ」ってどんな小説?

小説「小さき者へ」は、1918年(大正7年)、雑誌「新潮」に掲載されました。

有島武郎40歳の時の作品で、妻の死から2年が経過後のことです。

タイトルの「小さき者」とは彼の3人の子どもたちのことで、早世した母親の生きざまを子どもたちに必死に伝えようとする様子が、ものすごい迫力で伝わってきます。

ドラマティックなストーリーがあるわけでもない、短い作品ですが、小説の細部に渡って亡き妻への深い愛情や遺された子どもたちに対する慈しみが溢れています。

有島の作品全体に通じて言えることですが、文章の美しさは本当に鳥肌が立つくらいに神っています(笑)

札幌の街が生んだ文豪が、もしいるとしたら、それは有島武郎以外にはあり得ないだろうと、僕は信じています。

世の中のすべてのお父さんやお母さんには、ぜひ一度は読んでほしい名作です。

「小さき者へ」あらすじ(ネタバレ注意)

物語は、著者が自身の子どもたちに語りかける形で進んでいきます。

長男の生まれた吹雪の夜の記憶、仕事に熱中するあまり妻や子どもたちに厳しく当たった日々のこと、そして、妻が、当時はまだ不治の病と呼ばれていた肺結核に罹ってしまった日のこと。

妻は札幌市内の病院に入院しますが、母親のいない家庭で、著者は必死に育児と仕事とを両立させようとします。

やがて本格的な治療に専念するため、一家は札幌を引き払い、東京へと移住します。

仕事から離れ、妻と病気の子どもの看病に明け暮れる日々。

妻の病状が悪化し、鎌倉の病院に入院しようとする日、かつて一度として人前で泣き顔を見せたことのない妻が、見送りの人たちの前で泣き崩れます。

死の直前、妻は子どもたちにひとつの歌を遺しました。

「子を思う親の心は日の光世より世を照る大きさに似て」。

妻の死後、著者は創作活動で生きていくことを覚悟します。

小さき者よ。前途は遠い。そして暗い。然し恐れてはならぬ。恐れない者の前に道は開ける。行け。勇んで。小さき者よ。(有島武郎『小さき者よ』)

ゆるゆる文学散歩

作品の冒頭、妻が長男を出産するシーンがあります。

暁方の三時からゆるい陣痛が起り出して不安が家中に拡がったのは今から思うと七年前の事だ。それは吹雪も吹雪、北海道ですら、滅多にはないひどい吹雪の日だった。市街を離れた川沿いの一つ家はけし飛ぶ程揺れ動いて、窓硝子に吹きつけられた粉雪は、さらぬだに綿雲に閉じられた陽の光を二重に遮さえぎって、夜の暗さがいつまでも部屋から退かなかった。

この頃、有島武郎の住宅は、豊平川の畔に広がる林檎園の中にありました。現在ではすっかりと住宅街になってしまっていますが、有島の住宅跡地にはかろうじて標柱が建てられています。

はっきり言って、非常に分かりにくいので、少し詳しく説明しておきたいと思います。

河畔公園冬の河畔公園。夏はおすすめ。

当時、有島の住宅があったのは、現在の菊水11丁目です。

豊平河畔には「河畔公園」という名前の広い公園があり、決して広くはない道路を挟んで向かい側にマンションが建っています。

有島武郎邸跡地駐車場の向こう側に碑がある

このマンションの駐車場の奥側に空き地みたいな空間があり、その中にささやかな銀色の標柱が建っていて、そこに「有島武郎邸跡地」と記されています。

有島武郎邸跡地真ん中の細長い棒が記念碑。文字は雪で読めない。

今回、長男の生まれた真冬の様子を知りたくて、あえて冬に出かけてみましたが、標柱には雪がびっしりとまとわりついて、文字を読むことはできませんでした。

それにしても、歴史に残る文豪の遺跡としては、実際みずぼらしいなあと思わずにはいられませんでした。

有島武郎って札幌ではあまり大切にはされていないのかなとさえ思ってしまいます。

もちろん、立派に伝えられているものもあるんですよ。

大通公園には「小さき者へ」の一節が書かれた有島武郎文学碑があるし、ここ菊水にあった「市街を離れた川沿いの一つ家」は開拓の村に保存されています。

後年、北区に建てられた住宅も芸術の森で保存されているし、その住宅跡地には立派な説明板もあります。

有島が札幌に遺した財産を考えたら、それくらいは当然のことだと思うのですが、なぜかここの住宅跡地はしょぼすぎるんです(笑)

まして有島の代表作のひとつとも言える作品に登場しているスポットなんだから、もう少しきちんと整備して、たくさんの札幌市民にも知ってもらうべきだと思うんですが。

現状では札幌秘境百選みたいな扱いになっているのが残念です。いや、マジで。

まあ、それはそれとして、河畔公園には大きなアカシアの樹木があるので、白い花の季節には最高ですよ。

アカシアの白い花は札幌まつり(6月14日~16日)の頃に満開を迎えます。

6月中旬って、実は札幌が一番美しい季節なんですよ。

有島武郎邸跡地
・住所/札幌市白石区菊水1条1丁目2-4
・主な施設/標柱のみ
・アクセス/地下鉄東西線「菊水」駅から徒歩10分くらい
・駐車場/なし

ゆるゆる読書レポート

はっきり言って、有島武郎という作家は、日本文壇の中で一度は抹殺された存在です。

人妻と愛人関係を持って心中したという理由で。

昔の日本って不倫に対する考え方が今とは比べものにならないくらいに厳しくて(特に女性は「姦通罪」として刑事罰さえ受けた時代です)、倫理上許されざる行為をしたということで、有島作品はその文学的価値まで含めて、日本文壇の闇の中に放り込まれてしまうんです。

ゴミ箱にポイっていう感じで、有島武郎という作家が、この世に生きていたという事実さえ認めちゃいけないというくらい徹底的に。

有島の再評価が始まったのは、太平洋戦争が終わって社会に平穏な日々が戻ってしばらくしてからのことで、その象徴的な出来事が、大通公園への有島武郎記念碑の設置でした。

不倫の末に自殺した小説家に対する世の中の評価って、そのくらいに厳しいものだったみたいです。

この「小さき者へ」は、亡き妻や3人の遺児に対する愛情と慈しみに溢れた作品です。

見方によっては、5年後に自殺することを予見しての子どもたちに対する遺書だと思えないこともないくらい、迫力に満ちています。

何としても子どもたちに伝えなければならない、3人の子どもたちを妻がどれほど愛していたか、3人の子どもたちを遺して先立つことをどれだけ悔しんでいたか。

そのために亡き妻の夫は必死で文章を綴っているのです。

妻が生きていた証を子どもたちに伝えるために、妻が子どもたちを愛していた証を子どもたちに伝えるために。

そして、懸命に文章を綴る筆者の姿もまた、子どもたちに対する愛情に満ち溢れています。

僕は思うんです。

有島が人妻との心中事件を償う作品がもしもあるとしたら、それはこの「小さき者へ」じゃないかって。

まとめ

最後に「小さき者へ」のお勧めポイントを紹介しておきたいと思います。

・有島の3人の子どもたちが生まれた札幌が舞台
・妻子に対する父親の深い愛情が大きなテーマ
・短編なので読書初心者にもお勧め

せっかく札幌が舞台なので、もっと多くの札幌市民に知ってほしい作品です。

もちろん、札幌を旅する観光客の方にも。参考になれば幸いです!

http://sukidesu-sapporo.com/2019/06/08/osuenoshi/

ABOUT ME
kels
札幌住み歴38年目。「楽しむ」と「整える」をテーマに、札幌ライフを満喫しています。妻と娘と三人暮らし。好きな言葉は「分相応」。