夏休みが終わり、北海道の海水浴シーズンも終わった。
もっとも、8月いっぱいオープンしている海水浴場もあるし、今年は猛暑だから、今しばらくは海水浴を楽しむこともできるかもしれない。
お盆を過ぎると、気持ち的に海へとは向かわないというだけの話だ。
札幌市民に古くから馴染みのある海水浴場といえば「銭函海水浴場」で、明治42年の新聞には、「7月10日、北星女学校の生徒が海水浴に向かった」という記事が紹介されている。
銭函海水浴場行の鉄道運賃は昨日より各等とも二割引となりたるが、札幌北星女学校生徒は生徒団を造り、昨日午前八時列車にて海水浴場に至りたり。(『北海タイムス』1909/07/11)
女子高生の海水浴が新聞記事になるのもすごいが、当時としては、風物詩的な扱いだったのかもしれない。
女子高生が集団を組んで、列車に乗って海水浴というのは、いかにも趣きがある。
臨海学校のない北海道では、こういう海水浴が大切だったのだろうか。
7月10日に海水浴へ出かけるというのも早い。
夏の短い北海道では、7月下旬から8月上旬までの2週間が海水浴シーズンである。
7月10日の海は、果たして寒くなかったのだろうか。
海水浴シーズンに鉄道運賃を割り引くサービスは定着していたらしく、1913年(大正2年)の新聞にも、銭函海水案内が掲載されていて、「割引期間は7月25日から8月末まで、二三等往復に限り二割引」とある。
割引運賃は二日間有効だったらしいから、一泊二日の泊まり客を当て込んでいたのだろう。
大正時代、札幌から銭函は、泊まりがけで出かけるところだったのだ。
ちなみに、この新聞広告は、「三島家」という旅館が出したもので、宿の料理としては「柳川、鯉こく、寿し弁当」とある。
海水浴にしては、なんだか江戸情緒が感じられるメニューだと思った。
もっとも、現代の「海の家」のラーメン、焼きそば、おでんも似たようなものかもしれない。
戦後、海水浴客を対象とした鉄道運賃の割引はなくなった。
マイカー時代の到来で、鉄道を使ってまで海水浴へ行く札幌市民が減ったのだろうか。
大きな浮き輪が客車に漂う光景は、それはそれで真夏の情緒があって良かったと思うのだけれど。
