旧・札幌ピープル

昭和の清少納言、森田たま「生誕地」の冬を訪ねる

森田たま生誕地の記念碑

鐘の音が美しい札幌の街

札幌という町が美しいのは、あの鐘の音が美しいからです」森田たまの随筆には札幌に対する愛情が満ち溢れている。それは、自分の生まれ育った街に対する誇りであり慈しみであったことでしょう。僕は古い時代の札幌に触れたくなったときには、森田たまの古い随筆集を読むことにしています。古い随筆の中には、僕の知らない札幌があるから。

森田たまのこと

森田たまは、北海道出身の女性として初めての本格的文筆家です。今回、その生誕の地を訪ねてみました。あまり知られていないようだけど、札幌市内には随所に文学者に関わる記念碑が設置されていて、こうした記念碑を回るだけでも文学散歩を楽しむことができます。
森田たまの著作

森田たまの随筆コレクション

森田たまは、1894年、南1条東4丁目の自宅で生まれました。現在から125年も昔のことです。北海道が昨年150周年を迎えたばかりであることを考えると、森田たまの活躍がいかに早かったかということがよく分かりますね。小説家としてデビューしましたが、数々の随筆を書いたことでも有名で、僕も彼女の書く随筆のファンです(特に戦前に書かれたものが好き)。

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森田たまの生誕地

森田たまの生誕地現在の森田たま生誕地

生誕地は地下鉄バスセンター前駅からすぐですが、地下鉄大通駅から歩いても行けます。住所の南1条東4丁目を目指して行くと、通りに面して建つ大きな豪邸が目に入ってきます。豪邸の前には記念碑(というか説明板)が設置されていて、ここに森田たまの生まれ育った自宅のあったことが分かります。

森田たま生誕地の記念碑森田たま生誕地の記念碑

森田たまは、ここから大通公園を通って西11丁目にある北海道庁立札幌高等女学校まで歩いて通いながら、札幌の街に対する愛情を育んだそうです。「私たちの魂が、あの音色の中にあるのです。町の人々の心臓が、あの鐘の中にあるのです」昭和21年に出版された「随筆ゆく道」には、戦後の混乱の中で生きる人たちを励ますかのように、時計台の鐘の音に対する札幌市民の希望が美しく描かれています。

森田たま生誕地森田たま生誕地と記念碑

森田たまが亡くなったのは、札幌の街が冬季オリンピックの開催を控えて大きく変わろうとしていた1970年のこと。既に東京の人となっていた森田たまは、新しい時代の札幌の街を知ることもなく、この世を去りました。あれから49年が経ち、この北海道出身の偉大な女流作家の名前を聞く機会も少なくなったようです。没後50年を迎える2020年に向けて、少しは盛り上がりたいものですね。

ABOUT ME
kels
札幌住み歴38年目。「楽しむ」と「整える」をテーマに、札幌ライフを満喫しています。妻と娘と三人暮らし。好きな言葉は「分相応」。