旧・札幌ピープル

【エスタ閉店】札幌そごうのおもちゃ売り場でのらくろロックを買った頃

【エスタ閉店】札幌そごうのおもちゃ売り場でのらくろロックを買った頃

札幌エスタが、今年の8月31日で閉店するそうです。

昔、ここには「札幌そごう」があったんですよね、、、

♪S・O・G・O そごうへ行こう~のCMソング

札幌ステラプレイスの6階は、「無印良品」や「タリーズコーヒー」があるためか、いつも混雑しているフロアだ。

このフロアからは、札幌エスタの7階へとつながっている連絡通路がある。

混雑しているのは、連絡通路があるからかもしれない。

札幌エスタに入ると、「コーエン」や「グローバルワーク」「ニトリ」なんかがあって、現在の札幌エスタは、すっかりとファッションビルになってしまったなあと思う。

バスターミナル入口から見た札幌エスタバスターミナル入口から見た札幌エスタ

僕が大学生だった頃、ここは、まだ「札幌そごう」というデパートだった。

札幌そごうの7階にはおもちゃ売り場があって、大学での友人がアルバイトをしていた。

札幌エスタの7階に入ると、いつでも、僕はそんなことを考えてしまう。

札幌エスタというのは、札幌駅と直結している、いわゆる駅ビルのことで、札幌ステラプレイスや大丸札幌が登場する前は、札幌駅直結と言えば、札幌エスタのことだった(北5条の通りを挟んで、札幌駅の向かい側には「五番館(札幌西武)」と「札幌東急」があった)。

札幌エスタの開業は、1978年(昭和53年)9月1日で、当初、ここには、北海道初進出となる「札幌そごう」が営業していた。

S・O・G・O(エス・オー・ジー・オー) そごうへ行こう
S・O・G・O(エス・オー・ジー・オー) そごうへ行こう
両手にいっぱいお買い物 揃ってそごうへ行こう

開業当初、テレビコマーシャルで、盛んにそごうデパートのCMソングを聞かされたような気がする。

当時は、昭和の切手ブームの時代で、デパートの切手売り場には、眼を輝かせた切手少年たちが詰めかけていた。

小学生高学年だった僕も、切手好きの祖母に連れられて、札幌そごうでいろいろな記念切手を買ってもらったはずだ。

もちろん、僕は田舎の少年だったから、札幌のデパートで買い物できるのは、夏休みか正月くらいに限られていたけれど。

のらくろクンのダンシング人形「のらくろロック」

札幌市内の大学へ入学した後、僕は、札幌そごうのおもちゃ売り場を頻繁に訪れるようになった。

大学の同級生が、ここでアルバイトをしていたからだ。

あれは、たぶん、1986年(昭和61年)の後半から1987年(昭和62年)にかけてのことだったように思う。

僕は両親の都合で、最初に入った下宿を夏休み中に出て、秋からは北区の新琴似という町で両親と一緒に暮らし始めていた。

新琴似からはバスに乗って麻生駅まで移動し、麻生駅から中島公園駅まで地下鉄南北線で移動する。

学校への行き帰り、ときどき、僕はそごうデパートに寄って友人と会った。

JRタワーホテル日航札幌と札幌エスタのツーショットJRタワーホテル日航札幌と札幌エスタのツーショット

その頃のおもちゃ売り場は、昭和50年代のように切手少年で溢れるということもなくて、クリスマス時期を除けば、大抵の場合、静かで落ち着いていたものだ。

友人と会って無駄話をした後で、時々、僕はおもちゃを買って帰った。

それは自分のためのおもちゃではなくて、好きな女の子の気を惹くために買うことが多かったはずだ。

例えば、<のらくろクン>が音楽に合わせて踊るダンシング人形「のらくろロック」みたいなおもちゃは、他愛ない割に愛敬もあって、和やかな雰囲気を作ることができる。

ちなみに、テレビアニメ「のらくろクン」は、1987年(昭和62年)から1988年(昭和63年)まで放映された。バブル社会で生きる「のらくろ」っていうのもすごい。

なにより、アクセサリーみたいに重いところがないから、さりげなく、気軽に女の子にプレゼントすることができた。

僕は、そんなおもちゃを探すために、そごうデパートへ通っていたのかもしれない。

2000年(平成12年)に札幌そごうが閉店をして、札幌エスタはすっかりと様変わりをしてしまった。

久しぶりに、駅前通りから札幌エスタの写真を撮っていたら、ビルの屋上に「ESTA」という大きな看板がある。

昔はさらにその上に「札幌そごう」という看板が積み重ねられていたのだ。

今年の夏には、札幌エスタさえもなくなってしまうという。

北海道新幹線の駅が完成する頃、札幌はどんな街になっているのだろうか。

ABOUT ME
kels
札幌住み歴38年目。「楽しむ」と「整える」をテーマに、札幌ライフを満喫しています。妻と娘と三人暮らし。好きな言葉は「分相応」。