旧・札幌ピープル

友部正人さんが札幌の少年時代を歌った「りんご畑は永遠なのさ」(3KINGS)

友部正人さんが札幌の少年時代を歌った「りんご畑は永遠なのさ」(3KINGS)

今回は管理人の好きなアーチスト友部正人さんが作った札幌の歌をご紹介します。

歌のタイトルは「りんご畑は永遠なのさ」です。

フォークギターで歌う詩人

友部正人さんと言えば名曲「一本道」で有名なフォークシンガーです。

連合赤軍事件を歌ったトーキングブルース「乾杯」のような社会派メッセージソングにも人気があります。

一方で、友部正人さんは詩集をいくつも出版している現代詩人でもあります。

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友部さんの歌づくりは歌詞づくりから始めるそうですが、まさに歌詞重視の文学的なアプローチが友部さんの音楽の魅力でもあります。

友部正人は札幌の小学生だった

そんな友部正人さんですが、実は札幌で暮らしていたことは、あまり知られていません。

1950年(昭和25年)に東京で生まれた友部さんは、小学校入学と同時に札幌へ転居しています。

理由は父親の仕事の関係だったみたいです。

「はじめぼくはひとりだった」という作品の中にある「電車の窓から外を見ながら駅の名前を覚えていった、その夜僕は炭鉱町で真っ黒いお風呂に入れられた」といったフレーズは、そんな友部さんの原体験がベースになっているのかもしれません。

もっとも、札幌時代の友部さんについてはほとんどが謎で、ご本人が公の場で札幌時代の自分について語ることはあまりないようです。

札幌の友部正人ファンとしては、札幌時代の友部さんについて、もっともっと知りたいところなんですが、、、残念。

3KINGSの「王様のノイズ」

そんな友部さんが珍しく札幌時代のことをモチーフにした作品があります。

「りんご畑は永遠なのさ」が収録されている「王様のノイズ」(3KINGS)「りんご畑は永遠なのさ」が収録されている「王様のノイズ」(3KINGS)

それは「りんご畑は永遠なのさ」という曲です。

この曲は友部さんのソロ作品ではなく「3KINGS」というユニットのアルバムに初めて収録された作品です。

「3KINGS」とは3人の王様が集まって作られた音楽ユニットです。

ロックンロールの王様・鮎川誠、ブルースの王様・三宅伸治、フォークの王様・友部正人

3人の王様というユニット名が決して大げさではないメンバーが顔を揃えています。

この3KINGSが初めて製作したオリジナルアルバムが2019年3月に発売された「王様のノイズ」です。

3KINGSは鮎川誠・三宅伸治・友部正人3人のユニット3KINGSは鮎川誠・三宅伸治・友部正人3人のユニット

「王様のノイズ」では、鮎川誠・三宅伸治・友部正人それぞれの作品が(あるいは共作が)収録されています。

そして、今回ご紹介する「りんご畑は永遠なのさ」は、本アルバムの最後に収められている、友部正人作詞作曲による友部正人作品です。

「りんご畑は永遠なのさ」の歌詞全文

ジョン・レノンのストロベリーフィールズは二つある
一つはイギリスのリバプール
もう一つはニューヨークのセントラルパーク
どちらもジョン・レノンの家のすぐ近く
木立が孤独を抱きしめる場所

ぼくにもストロベリーフィールズが一つある
子供の頃に暮らした札幌の
藻岩山のすぐ裏にあったりんご畑
自然界への入り口だった
ぼくが九歳になるまでのこと

りんごみたいに着飾った
煙突のある女たち
日暮れを集める男たち
今は住宅街の中のただの小道

だけどりんご畑は永遠なのさ
道に迷ったまま日が暮れて
心細いまま大人になった
ぼくを残してきたあの場所は
今もきっとあるはずさ

今は固く閉ざされて
子供たちの声も聞こえないけど
思い出を抱いた人たちの
ストロベリーフィールズの門はいつも開いている
思い出を抱いた人たちの
ストロベリーフィールズの門はいつも開いている

藻岩山のすぐ裏にあったりんご畑

この曲の中で、友部正人さんはビートルズの名曲「Strawberry Fields Forever」になぞらえる形で、自身の少年時代に影響を与えた札幌への思いを綴っています。

ロックンロールとブルースとフォークの名曲がたくさんの「王様のノイズ」ロックンロールとブルースとフォークの名曲がたくさんの「王様のノイズ」

「いちご畑」ならぬ「りんご畑」のあった郷愁の地として。

実際、1972年(昭和47年)に冬季札幌オリンピックが開催されるまで、札幌市内にはまだ多くの果樹園が残されていたと言います。

特に林檎は、戦前期には海外にまで輸出されるくらい札幌の重要な農産物でした。

豊平川近郊の平岸や山鼻には広大な果樹園が広がっていたそうです。

地下鉄の登場とともに札幌市内の宅地化が進み、果樹園は一気に住宅地へと姿を変えていきました

友部さんが歌う「藻岩山のすぐ裏にあったりんご畑」は、昭和30年代には普通に見られた札幌のひとつの風景を非常によくとらえているものなのではないでしょうか。

そして、そんな札幌の街で友部少年は9歳になるまで暮らしていたのです。

ジョン・レノンへのオマージュに満ち溢れている「りんご畑は永遠なのさ」は、少年時代を過ごした札幌に対するオマージュでもあります。

思い出を抱いた人たちのストロベリーフィールズの門はいつも開いたままで。

まとめ

以上、友部正人さんの「りんご畑は永遠なのさ」についてご紹介しました。

最後に「りんご畑は永遠なのさ」のポイントをまとめておきます。

・友部正人は小学校入学から9歳になるまでを札幌で過ごした
・友部少年の家は藻岩山麓の果樹園の近くにあった
・友部正人は大人になった今も少年時代の札幌を懐かしく思い出している

友部正人さんのファンの方にもそうではない方にも「りんご畑は永遠なのさ」はお勧めの名曲です。

ぜひ聴いてみてくださいね。

ABOUT ME
kels
札幌住み歴38年目。「楽しむ」と「整える」をテーマに、札幌ライフを満喫しています。妻と娘と三人暮らし。好きな言葉は「分相応」。