「ティファニーで朝食を」。
オードリー・ヘップバーン主演の映画は知っているけれど、原作は読んだことがないという方は、意外と多いみたいです。
長そうだし、難しそうだし、文字ばかりだし(笑)
実際は、それほど長い小説ではないのですが、時間がないという方のために「ティファニーで朝食を」のあらすじを要約してみました。
あくまでも要約なので、小説の感動を味わいたいという方は、ぜひ原作を読んでみてくださいね。
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バーからかかってきた電話
その年の10月の火曜日の午後遅く、私はレキシントン街でバーを営むジョー・ベルからの電話を受けた。私がジョーに会うのは、5,6年振りのことだった。店に行くと、ジョーは3枚の写真を見せた。アフリカに行っているユニオシさんから届いたものだという。
写真には、木の彫刻を持った黒人の男が写っていた。木の彫刻は女の顔を彫ったもので、その顔はホリー・ゴライトリーそっくりの顔だった。「彼女に似ている」と私は言った。
ユニオシさんは、ジャングルの中の一部落で、この男と出会ったらしい。黒人の話によると、ホリーは2人の白人の男性と一緒に馬に乗ってやってきたという。黒人は「ホリーと寝た」と言ったが、それが本当かどうかは分からないと、ジョーは考えている。
ジョーの店を出て、私はかつて私やホリーやユニオシさんが暮らしていた集合住宅を訪ねてみた。あの頃のメンバーで、今もそこで暮らしているのは、マダム・サフィア・スパネラだけだ。
ホリーとの出会い
第2次世界大戦の初めの頃に、私はニューヨークにあるその集合住宅に引っ越しをした。
ある深夜、私は「冗談じゃないよ」というユニオシさんの大きな声を聞いた。入り口の鍵をなくしたホリーが、最上階に住むユニオシさんの部屋のベルを鳴らしたものらしい。ホリーは男と一緒だったが、男を残したまま部屋のドアを閉めてしまった。
翌日の夜から、ホリーは私の部屋のベルを鳴らすようになった。ホリーは午前2時とか3時とか4時とかに帰宅するのが常だった。
ホリーは猫を一匹飼っていて、時々ギターを弾いた。髪の毛を洗った後に、彼女は髪の毛を乾かしながら非常階段でギターを弾いた。彼女のギターが聞こえると、私は窓辺に行って彼女の歌を聴いた。
「かわいそうなフレッド」
9月のある夜、ホリーが窓から入ってきた。酔った男が追いかけてきて困っているのだという。彼女は私が弟のフレッドに似ていると言って、私のことを「フレッド」と呼ぶようになった。
その夜、私とホリーはいろいろな話をする。ホリーは42歳より若い男性には興味がないことや私が無名の物書きであること。私はホリーにせがまれて自分の作品を読んで聞かせた。
夜が明ける頃、その日が木曜日であると知って、ホリーは「刑務所へ行く日だ」と打ち明ける。彼女は弁護士の依頼により、毎週木曜日には刑務所に入っているサリー・トマトと雑談をすることで報酬を受け取っているのだ。私がベッドで眠った振りをしていると、ホリーは「かわいそうなフレッド」と呟いて泣いた。
ティファニーで朝食を食べるようになっても
翌週の水曜日、私は彼女の郵便箱に「明日は木曜日です」というメッセージを入れた。次の日の夜、私は彼女からの誘いを受けて、彼女の部屋へ行った。ドアを開けたのは、O.J.バーマンという俳優代理人だった。
バーマンは、15歳の彼女を見出した男だった。当時、彼はホリーを女優としてデビューさせようと考えていたが、ホリーがそれを拒んだらしい。ホリーは私を作家としてバーマンに売り込もうとするが、私もバーマンもその気にはなれない。
その夜、多くの人間がホリーの部屋に集まり、そして酔っ払った。甲斐甲斐しくホリーの世話を焼いていたのは、ラスティー・トローラーという金持ちの男だった。彼はこれまでに3度結婚し、3度離婚していた。
その夜、彼女は、映画スターになることは難しすぎるし、バカバカしい仕事だと言った。いつか金持ちになりたいと考えているが、自分を捨てるつもりもない。たとえ、ティファニーで朝食を食べるようになったって、自分自身を失いたくはないのだと。
彼女の猫には名前がなかった。彼女はどんなものも所有したくはなかったのだ。少なくとも自分の居場所が見つかるまでは。
彼女は「あのイヤな赤」を心から憎んでいる。理由の分からない不安を感じる時、彼女はティファニーの店へ行くことで気持ちを落ち着かせていた。ティファニーの店にいるような気持ちにさせてくれる空間こそが、彼女は自分の居場所だと信じていた。
ホリーの名刺には、いつも「ホリー・ゴライトリー、旅行中」と書かれていた。彼女は結局のところ、自分がどこに住むのか分からないのだという。彼女の人生の中で、彼女はいつでも旅を続けていたということなのだろう。
パーティのさなかに、マッグ・ワイルドウッドが乱入してきた。最上階にあるユミオシさんのスタジオでの撮影が終わったところらしい。彼女は男性たちの注目を集めながら酔いつぶれてしまう。
ブラジル人外交官
翌日からワイルドウッドはホリーの部屋でホリーと同居するようになった。ワイルドウッドにはホセ・イバラ・ハエガールという恋人があった。彼はブラジルの外交官だった。
ホセは「ブラジルの大統領になりたい」と考えていた。彼女には、自分がブラジル人になることなんて想像できない。彼女はホセにアメリカ人になるように説き伏せたいと考えていた。
出版社からの手紙
1943年10月の月曜日、私は大学評論雑誌から、自分の送った短編を掲載したいとの通知を受け取った。うれしさのあまり、ホリーの部屋を訪ね、大学評論雑誌からの手紙を見せる。ランチでお祝いしましょうと、彼女は言った。
私たちはジョー・ベルの店でマンハッタンを飲んでから、カフェテリアでランチを食べた。公園の池の畔で、私とホリーは自分たちの過去について語り合った。14歳で独り立ちしたということ以外、彼女の話には現実味が感じられなかった。
彼女は軍隊にいる弟のフレッドに、ピーナッツ・バターを送ってあげたいという。戦争のため物資が欠乏している街で、私たちはピーナッツ・バターをかき集めてフレッドに送った。
帰り道、安デパートの前で、ホリーは「何か盗もうよ」と提案をした。私たちはハロウィンの仮面を被ったままで店を出た。昔は、そうしないわけにはいかなかったのだと、彼女は言った。
クリスマス・イヴ
10月の終わり頃に、私は仕事を見つけて働きに出るようになり、ホリーとはすれ違うことが多くなった。仕事帰りに彼女の部屋に顔を出すと、大抵はラスティ・トローラーと一緒だった。ワイルドウッドやホセが一緒のことも多かった。
ある日の午後遅く、私は図書館に入っていくホリーを見つけた。私は彼女の後を付けて図書館に入り、彼女の読んでいた本を確かめた。彼女はブラジルに関する本をいくつか調べていたようだった。
クリスマス・イヴに、ホリーとワイルドウッドはパーティを開いた。彼女は、私がずっと欲しがっていたアンティークの鳥籠をプレゼントしてくれた。「生き物は絶対に入れないって約束してね」と言いながら。
ホリーとの絶交
2月のある日、ホリーはラスティーやワイルドウッド、ホセと一緒に旅に出た。旅先で大喧嘩をしたラスティーは重傷を負い、ワイルドウッドはひどい日焼けで入院をしてしまう。2人を病院に残して、ホリーとホセは2人で旅を続けたらしい。
ホリーは私の作品が掲載された雑誌をバーマンに読ませていた。2人は「子どもと黒人のことばかりの物語には何の意味もない」と言う。感情的になった私はホリーをメチャクチャに殴りつけて、彼女の部屋を出た。
しばらくの間、私たちは階段で顔を合わせても、お互いに目を伏せた。1階に住んでいるマダム・スパネラが、ホリーの立ち退きを求める請願運動を始めた。「絶えず男をくわえこむ、いかがわしい人物」と、彼女は言った。
ゴライトリー氏、登場す
その日の夕方、ホリーの郵便受けを見ている不審な男が現れる。彼は、ホリーがギターを弾きながら歌う、あの歌を口笛で吹いていた。レストランまで付いてきた男に、私は話しかけた。
驚くべきことに、男はホリーの夫だった。かつてルラミー・バーンズという名前だった女の子は、14歳の時に獣医のゴライトリーと結婚をしたのだ。男は突然に家出をした妻を5年間も探し続けていたのだという。
ゴライトリーには4人の連れ子があり、ホリーは4人の子供たちの母親だった。1936年の7月4日に妻を亡くしたゴライトリーは、1938年の12月、ルラミーと結婚をした。ルラミーは何不自由なく、ゴライトリー家で暮らしていたという。
ゴライトリーが初めてルラミーと出会ったのは、彼の娘が2人の子どもの泥棒を捕まえたときだった。両親を亡くしたルラミーとフレッドは貧しい家庭に引き取られたが、その家を逃げ出してしまう。食べるものに困った2人は、ゴライトリーの家からミルクと卵を盗もうとしたところを捕まってしまったのだった。
弟のフレッドは、兵隊に行くまでゴライトリーの家で暮らしていた。ホリーからのピーナッツバターを受け取ったフレッドが、ホリーの居所をゴライトリーに知らせたのだ。ゴライトリーはホリーを「テキサスまで連れて帰る」と言う。
しかし、ホリーはテキサスへは戻らなかった。獣医であるゴライトリーは弱った野生動物を治療して可愛がるが、元気になった動物たちはやがて森へ帰って行く。野生の動物をかわいがったりしてはいけないのだと、ホリーは言った。
フレッドの戦死
ラスティーとワイルドウッドとの結婚が新聞で報じられた。新聞記事を読みながら帰宅すると、ホリーが部屋で暴れ回っているという。ホリーの部屋に行くと、ホセが医者を連れて戻ってきたところだった。
弟のフレッドが戦死したという報せが届いていた。ホリーは、私のことを「フレッド」と呼ぶこともやめてしまった。ホセがホリーの部屋で同居するようになった。
ホリーは、以前のホリーではないように、家事に熱中するようになった。彼女はホセと結婚するつもりだった。彼女はホセの子供を妊娠していた。
売春婦みたいに言われているけれど、彼女の恋人になった男は全部で11人きりだと言う。男と寝て金をもらったことなんて一度もない。恋に落ちると、まるで催眠術にでもかかったみたいに、彼女はうっとりとなってしまうのだ。
ホセの場合は、そんな甘い夢を抜きにした恋愛だった。彼女にとって、ホセは理想の男性ではなかった。けれども「結婚なんて誰とでもできる」と彼女は考えていたし、彼女はホセを愛していた。
彼女は、もう理由のわからない不安を抱えてティファニーへ駆けつけたりしなかった。「正直ってことがもっと大事だと私は思うのよ」と、彼女は言った。正直であることは実際に役立つことなのだと、彼女は考えていた。
誕生日の乗馬事件
私の誕生日であった9月30日、ホリーは私を乗馬に誘った。お気に入りの馬にお別れを言いたいのだと言う。次の土曜日の一週間後に、ホリーとホセはブラジルへ行ってしまうのだ。
刑務所のサリー・トマトには、既に別れを告げたのだと、彼女は言った。結婚祝いと称して、サリーは弁護士を通じて500ドルを送ってきたらしい。一人取り残されるような気がして、私は素直に喜べなかった。
セントラル・パークの乗馬道で、馬に乗っているときのことだ。私の乗った馬が、黒人の子どものいたずらによって興奮した。馬は街の中を暴走し、私は馬から振り落とされてしまう。
「本当に大丈夫なの?」と、ホリーは言った。「ありがとう。僕は君が好きだよ」と、僕は言った。「おバカさんね」と言いながら、彼女は僕にキスをし、僕はそのまま気を失ってしまった。
ホリー逮捕
家に戻ると、私は落馬の痛みを癒すために入浴をした。ホリーは私の体に軟膏を塗ろうと、浴槽の縁に腰をかけて待っていた。そのとき、マダム・スパネラが、2人の刑事と一緒に入ってきて、刑事はホリーを逮捕した。
その日の夕方、新聞でホリーの逮捕が大きく報じられた。彼女は、麻薬密輸業者のサリー・トマトと結託していたのだと、記事は伝えていた。彼女が弁護士だと信じていた男性も逮捕されていた。
ジョー・ベルがやってきて、彼女のために弁護士を探そうと言った。バーマンに電話をかけると、彼は既に必要な手配を済ませていた。「1万ドルの保釈金さえ出せばいいんだ」と、彼は言った。
ホセからの手紙
翌朝、猫に餌を与えるために彼女の部屋に入ると、ホセのいとこが荷物をまとめていた。ホセは、彼の荷物がやってくるのを待っているのだと言う。ホセが書いたホリーへの手紙を、私は預かった。
逮捕された夜に、ホリーは流産のために入院していた。彼女は、フレッドの戦死を知らせる通知を受け取った日、スパネラが弟のフレッドと一緒に、部屋の中にいたのを見たと言う。だからこそ、彼女は部屋中の何もかもをぶち壊したのだ。
私がホセの手紙を差しだすと、彼女はベッドの上で丁寧に化粧をした。「口紅をしてからでないと、女はこういう手紙を読まないものよ」そして、手紙を読んでから「くやしいったらないわ」と言った。
彼女は予定通りにブラジルへ飛ぶと言う。もうこの街で生きていくことはできないだろうということを、彼女は理解していた。ホリーは「本当に寛げるところが本国ってもんよ」と言った。
ブラジルまで
金曜日の夜に雷が鳴り、土曜日の朝に土砂降りの雨が降った。嵐の中で、ホリーは旅の準備を続けた。病院を抜け出した彼女は、ジョー・ベルの店で私を待っていた。
私は彼女の部屋の荷物を抱えて、ジョーの店へ行った。彼女のブランデーで、私たちは乾杯をした。ジョーは向こうを向いたまま、花瓶の花を彼女に投げつけた。
ジョーの用意してくれた自動車に乗って、私たちは空港へ向かった。ハーレムで、彼女は自動車を止めた。そして、自分の猫を放した。
「私たちは互いにどうしようと勝手なのよ」と、ホリーは言った。「何一つ、約束したわけじゃない」そのとき、彼女は言葉につまり、それから再び自動車を降りて猫を探した。
猫は見つからなかった。「猫の世話も僕が引き受けるよ」と、私は言った。「あたしはどうなるのかしら」と、ホリーは言った。
ホリーの逃走は新聞を賑わせたが、やがて事件は忘れられていった。クリスマスの日に、サリー・トマトが死んだ。アパートの家主は、彼女の残した荷物を売り払った。
ホリーからの手紙
春になって、ホリーからの手紙が届いた。ブエノス・アイレスは素敵だと書いてあった。「ティファニーほどじゃないけどね」
住所が決まったら知らせると、彼女は書いていたが、それきり何の知らせもなかった。私には彼女に知らせたいことが、たくさんあったのに。私の書いた小説が二つも売れたこととか、トローラー夫妻の離婚訴訟のこととか。
けれども、一番知らせたいことは、彼女の猫のことだった。
彼女の猫は、窓枠の向こう側にある温かそうな部屋の中で暮らしていた。安住の地を見つけた猫には、どんな名前が付いたんだろうと、私は思った。そして、ホリーにもどこか安住の地があってほしいと、心から祈った。
まとめ
以上、トルーマン・カポーティの小説「ティファニーで朝食を」の要約をご紹介しました。
最後に、小説「ティファニーで朝食を」のおすすめポイントをまとめておきたいと思います。
・意外と長くないので読書初心者にもおすすめ
・テーマは自由に生きる新たな時代の女性
・ティファニーは豊かな物質文明の象徴
オードリー・ヘップバーン主演の映画「ティファニーで朝食を」は観たけど、原作を読んだことがないという方の参考にしていただければと思います。
ちなみに、トルーマン・カポーティの小説「ティファニーで朝食を」は、1958年(昭和33年)に出版された中編小説です。
日本では1960年(昭和35年)に、龍口直太郎さんによって翻訳版が出版されました。
近年になって(2008年)村上春樹さんによる翻訳も出版されていますが、今回は長く愛されてきた龍口直太郎さんによる翻訳を参考として使いました。
原作小説と同じように、翻訳にも歴史が培ってきたものがあると考えているので。
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なお、ティファニー好きの方は、別記事「【レビュー】ティファニーのボーンチャイナ製ペーパーカップはもはやアートだ」も併せてご覧ください。
https://sukidesu-sapporo.com/2020/03/07/tiffany-papercup/
