札幌の桜も満開になりました。
札幌でお花見の名所といえば、やっぱり円山公園ですよね。
史上最速! 札幌で桜の満開宣言
本日の北海道新聞朝刊にて、札幌で桜の満開宣言が出たという記事を読んだ。
統計史上、最も早い満開宣言だそうである。
ゴールデンウイーク前に満開というのも、タイミングとしてどうかと思うけれど、早朝の桜を眺めるために、円山公園をぶらぶら歩いてみた。
早朝の円山公園ぶら散歩である。
桜の季節になると、札幌の人々は、ビールとジンギスカンを持って円山公園へ集合する。
少なくとも、コロナ前までは、そのような風習が、札幌では根づいていた。
今年は、久しぶりに円山公園での宴会が解禁されたけれど、火気使用は禁止ということで、ジンギスカンはできない。

焼き肉バーベキューがなくては、札幌の花見という感じがまったくしない。
おまけに、今朝の気温は4℃で、強風、小雨混じりという天候。
およそ、桜の下でビールを飲んで、という感じではない。
それでも、週末の円山公園は、多くの花見客で賑わうんだろうなあ。
朝5時30分、円山公園に到着。

寒い中、ジョギングしている人や犬の散歩をしている人たちで、公園にはそれなりに人の姿がある。
そして、寒々しい公園の中に敷かれた青いブルーシート。
こんなに寒い空の下でも、お花見のための場所取りをしている若者たちがいるのだ。
桜とビールとお弁当のために──。
円山公園駅のサッポロジャイアンツ落下事件
1980年代後半、大学生だった我々にとっても、円山公園でのお花見は重要な恒例行事の一つだった。
そもそも、大学一年生のときに入った文化系サークルの新入生歓迎コンパは、円山公園のお花見だった。

ゴールデンウイークまで新歓コンパがないというのは、どうかと思うけれど、4月いっぱい待たないと、それなりの新入部員も集まらないようなサークルだったということだろう。
僕らは、地下鉄東西線に乗って、円山公園まで向かった。
やる気のない連中だったから、四角い固形燃料とアルミホイル製の使い捨てジンギスカン鍋、カチカチに凍った状態の冷凍ジンギスカンというのが、その日のメニューだった。
火力の弱い固形燃料の上にペラペラのジンギスカン鍋を乗せて、その上に凍ったままの味付きジンギスカン肉の塊を乗せる。
あんなに雑なジンギスカンというものを、僕は他に経験したことがない。
ビールの大瓶(当時は宴会と言えば「サッポロジャイアンツ」が定番だった)だけが、せめてもの慰めで、それでも僕らは、円山公園の花見を大いに楽しんだ。
あまりに楽しみ過ぎて、帰りの地下鉄駅では、泥酔した先輩が飲み残したビールの入っているジャイアントの瓶を落として割ってしまい、地下鉄のホーム全体にビールの匂いが充満するという事件まで起こった。
グチャグチャだけど楽しい、というのが、その頃の青春だったような気がする。
お花見の場所取りで徹夜した頃
毎年のように、円山公園で花見をしているうちに、大学4年生になる頃には、僕も立派な花見の達人になっていた。
その年は、特に新入部員の多かった年で、僕らは10人程度のチームを組んで、花見の場所取りに出かけた。
夕食用に持っていったホルモンを七輪で焼いて、それで朝まで過ごす計画だったのだ。

それは場所取りというよりも一種のキャンプ(野営)で、僕らは桜の樹の下に敷いたブルーシートの上で、誰に気兼ねすることもなくビールを飲み、大声で笑った。
夜更け近くになると急速に気温が下がってきて、あまりの寒さに、僕らは七輪をミニ焚き火台にして暖を取った。
ささやかなキャンプファイヤーを囲みながら、仲間たちの声は少しずつ小さくなっていく。
いい加減に疲れた体を毛布で包み、ブルーシートの上で僕らは眠った。
桜の季節というのは、実際にはまだ早春の気候である。
夜風と夜露の冷たさに震えながら目を覚ますと、僕らは野鳥の声に囲まれていた。
その後、何百回となく、僕はキャンプをしてきたけれど、あんなに野趣溢れる野営(というか野宿)というのは、そうそうあるものではないと思っている。
驚いたのは、チームの中の酔っぱらった二人が、一睡もせずに朝まで生討論を繰り広げていたことで、「原発が必要がどうか」というテーマで議論していた彼らは、互いに譲ることができないまま夜明けを迎えたらしい。
不毛と言えば不毛な生討論の夜だった。

やがて、サークルの女の子たちが盛大にお弁当を持って現れ、我々と合流した。
ちゃんとしたバーベキューグリルも持ちこんで、その日のお花見は、僕の大学生活の中でも、とりわけ豪華で立派なお花見となった。
あのときは、参加人数も50人近かったように思う。
その日の主役もまた、やっぱりサッポロジャイアンツだった(どれだけビール好きだったんだ、当時の大学生)。
ただし、女子部員が多くなって、サークルの雰囲気は、僕が入部した頃よりも、ずっと上品で健康的になったような気がする(その分、醜い争いごとも増えたけれど)。
今にして思えばバカバカしいことかもしれないが、若い時にしかできないことは、若い時にしっかりとやっておくべきだと思う。
それが青春の特権というものではないだろうか。
最後に、不毛な議論で完徹(最近の若者は「オール」と言う)した件の二人は、花見宴会が始まった途端に熟睡してしまい、豪華な花見料理に箸を付けることはなかった。
それもまた青春といえば青春の思い出なのかもしれない。
