いつもの美容室、いつものスタイリスト。
ただし、いつもの土曜日ではない。
昨日の土曜日、彼は、小学六年生になる息子の運動会を観戦するため、仕事を休みにしていたのだ。
「天気が良くて良かったですね」と言うと、彼は笑った。
「そうなんですよ。日焼けの心配しないといけないくらいに好天でした」
金曜日の夜、飲み会から帰る道は雨で、日曜日の今日、美容室へ向かう道も、やはり雨だった。
どうやら、土曜日だけ天気が良かったということらしい。
彼は運動会の話を続ける。
「最近の運動会は午前中だけで終わっちゃうでしょ? 昔の運動会とは全然違いますよね」
昨日の運動会も、昼過ぎの12時半ごろにはすべての日程を終了していたという。
我々の時代、運動会といえば、昼に家族みんなでお弁当を食べること、それ自体が、一つの行事だった。
運動会当日、母親はお弁当を作るために、いつもよりも早起きをしたものだ。
我が家では、娘の好きな鳥のカラアゲと卵焼きが定番で、嫁が料理をしている間に、僕は娘を連れて、学校のグラウンドまで場所取りに出かけた。
娘が低学年の頃、場所取りは午前五時からというルールを設けられていたものの、基本的には早い者勝ちだったから、僕と娘は毎年朝五時前から場所取りの列に並んでいたものである。
娘が高学年になる頃から、事前に並び順を抽選にするようになり、当日の朝は番号札の順で場所取りをするようになった。
一番前でビデオ撮影をしたい家庭もあれば、一番後ろの木陰にキャンピングチェアを置いて、ゆったりと観戦をしたい家庭もある。
うちの娘は運動会で活躍する場面もなかったので、いつも、前から二番目辺りの列に座って、嫁と二人、のんびりと観戦していたような気がする。

「今は体育館にもプロジェクターが用意されているんですよ」と、彼は言った。
「体育館で見学するの?」
「そうです。プログラムの進行具合をプロジェクターで観戦しておいて、自分の子どもが登場するときだけグラウンドへ出ていくんです」
お弁当の時間がないから、そもそも昔みたいな場所取りもない。
家族の観戦スペースは競技によって変わるから、固定の観戦席というのは、あまり意味がないらしい。
小学校の運動会におけるプログラムの短縮化は、学校の働き方改革の流れの中で生まれてきたものだっただろう。
学校行事に関わる教職員の負担は、我々保護者が考えるよりもずっと、きっと大きいに違いない。
酔っぱらいオヤジもいなければ、綿あめやクジ引きの屋台も現れない健全な運動会。
コロナ禍を経て、札幌の運動会は、確実に変化しているらしい。
どっちが良いとかいう問題ではない。
新しい時代に対応した、新しい形の運動会。
今、求められているのは、新しい時代の、新しい運動会なのだ。
僕は、昨日の午前中に、散歩の途中で観た運動会のことを思い出していた。
大切なことは順位でもビデオ撮影でもない。
青空の下、みんなで楽しく騒いで笑った──
そんな思い出があればいいと、そう思った。
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