旧・札幌ピープル

石川啄木「一握の砂」北海道が舞台の短歌(函館・札幌・小樽・釧路を中心に)

石川啄木「一握の砂」北海道が舞台の短歌(函館・札幌・小樽・釧路を中心に)

石川啄木の代表作といえば歌集『一握の砂』。

この『一握の砂』に収録されている短歌の多くは、北海道が舞台となっています。

放浪の北海道生活とデビュー作『一握の砂』

『一握の砂』は、明治43年(1910年)に刊行された、石川啄木のデビュー作です。

この歌集は「我を愛する歌」「煙」「秋風のこころよさに」「忘れがたき人人」「手套を脱ぐ時」の五部構成となっていて、全551首の作品が収録されています。

その中には「忘れがたき人人」を中心に、北海道の情景を読んだ歌が多く含まれていますが、これは、石川啄木が北海道で暮らした体験が、啄木の作品の素材となっているからです。

弱冠20歳の石川啄木が北海道へ渡ったのは、1907年(明治40年)5月のことです。

母校である小学校の代用教員を退職(クビになった)した啄木は、文芸誌のネットワーク(苜蓿社の同人・松岡蕗堂)を頼りに函館へ移住。

小学校の代用教員(函館区立弥生尋常小学校)や新聞社の遊軍記者(函館日日新聞社)などをしながら暮らしを立てます。

しかし、8月の函館大火で勤務先の小学校や新聞社が焼失。

焼け出された啄木は、またもや文学仲間(苜蓿社の同人だった向井永太郎)を頼って、札幌へ移住します。

函館から長万部、倶知安、小樽と鉄道で移動して、啄木が札幌に到着したのは、9月14日のことでした。

札幌で啄木は、新聞社の校正係(北門新報)として働きますが、小樽の新聞社の創刊に参加するため、わずか2週間で札幌の下宿を退去、9月27日からは、小樽市内での生活を始めます。

しかし、小樽の新聞社(小樽日報)では上司とのトラブルが絶えず、12月中旬には退社。

釧路市内の新聞社(釧路新聞)に就職が決まり、小樽を出発したのは、1月19日のことでした。

このとき、啄木は、小樽から、札幌を経て、岩見沢と旭川で宿泊の後、釧路へ入っています。

釧路で啄木は花柳界の女性(小奴)と懇意になるなど、充実した生活を送りますが、中央文壇への思いを捨てきれず、4月上旬、釧路から函館に向けて出発。

4月下旬には、横浜行きの船に乗り、およそ一年間の北海道生活に幕を降ろしました。

それにしても、函館、札幌、小樽、釧路と、生活の拠点を道内各地で転々とした啄木の暮らしぶりは、現代の北海道民から見ても驚くべきものがありますね。

一年間の放浪生活。

それが石川啄木の北海道時代でした。

啄木にとっては辛い北海道生活だったかもしれませんが、その中から『一握の砂』に収録される素晴らしい作品の数々が生まれたことは間違いがないようです。

北海道が舞台となっている石川啄木の作品

ここからは、『一握の砂』収録作品のうち、北海道が舞台になっている作品について、僕の好きなものを中心にご紹介したいと思います。

主に「わすれがたき人人(一)」に収められている作品です。

ちなみに「わすれがたき人々(二)」には、北海道時代の啄木にとって、特に心に残る一人の女性(橘智恵子)を歌った作品が収録されていますが、この案件については、いずれ別にご紹介しましょう。

まずは、函館時代の作品から。

潮かをる北の浜辺の
砂山のかの浜薔薇(はまなす)よ
今年も咲けるや

啄木の短歌は「三行歌」といって、三行に分けて表現されていることが、大きな特徴となっています。

この歌は、啄木小公園にある啄木像に刻まれている作品です。

あはれかの
眼鏡の縁をさびしげに光らせてゐし
女教師よ

函館で啄木は代用教員をして暮らしました。

代用教員というのは、今でいう「産休・育休代替教員」、いわゆる臨時教員(北海道では期限付教員という)のことですね。

同僚の女性教員に対するチェックは厳しかったようです(笑)

ちなみに、このとき啄木は弱冠21歳でした(ただし、妻と長女あり)。

函館の青柳町こそかなしけれ
友の恋歌
矢ぐるまの花

個人的に非常に大好きな作品で、青柳町の函館公園には歌碑が設置されています。

函館へ遊びに行ったときは、つい何となく青柳町をブラブラしてしまうんですよね。

函館で暮らすことがあったら、ぜひ青柳町に住みたいです。

しらなみの寄せて騒げる
函館の大森浜に
思ひしことども

大森浜の啄木小公園にある歌碑には、この歌ではなく「かの浜薔薇(はまなす)よ」の歌が刻まれています。

啄木は海がお気に入りだったようですね。

続いて、函館を火事で追われて、札幌へ引越しする際に詠んだ歌から。

雨に濡れし夜汽車の窓に
映りたる
山間の町のともしびの色

函館市内に家族を残して、啄木は一人、鉄道を使って札幌へ向かいました。

当時は室蘭回りではなく、倶知安・小樽を経由して札幌へ向かうルート(函館本線)でした。

雨つよく降る夜の汽車の
たえまなく雫流るる
窓硝子かな

雨の夜汽車に乗っている啄木の不安と寂しさが伝わってきます。

啄木は、こういう情緒的な歌を本当に得意とする作家でした。

真夜中の
倶知安駅に下りゆきし
女の鬢の古き痍あと

倶知安駅に停車したときの作品で、倶知安駅前に歌碑が設置されています。

夜汽車の中でも、啄木の関心は女性に向けられていたようです(笑)

札幌が舞台となっている石川啄木の作品

次からは、いよいよ、石川啄木が札幌に登場します。

札幌が舞台の作品は、全部ご紹介します!

札幌に
かの秋われの持てゆきし
しかして今も持てるかなしみ

札幌篇の中で一番地味な作品。

知名度も低いかもしれませんが、しみじみと良い作品です。

アカシヤの街樾(なみき)にポプラに
秋の風
吹くがかなしと日記
残れり

札幌市内の偕楽園緑地に歌碑がありますが、場所はあまり関係ありません。

広く札幌の情景を詠んだ作品だと思われます。

札幌に対する啄木の印象は非常に良くて、「しめやかなる恋の多くありさうなる郷なり、詩人の住むべき都会なり」と残されています。

しんとして幅広き街の
秋の夜の
玉蜀黍の焼くるにほひよ

啄木の作品の中でも超メジャーな作品ですね。

大通公園の真ん中にある啄木像は、札幌の観光名所としても人気のスポットです。

https://sukidesu-sapporo.com/2020/06/08/oodori-takuboku/

わが宿の姉と妹のいさかひに
初夜過ぎゆきし
札幌の雨

札幌最後の作品が、僕は好きです。

啄木が札幌で暮らした下宿屋では、若い女性が二人(大家さんの娘)一緒に暮らしていました。

姉妹のうちのお姉さんの方を、啄木は女性として意識していたようで、日記にも詳しく記しています(女性に対する粘着質な気質は激しかった)。

札幌クレストビルの一階に啄木像(歌碑)があります。

札幌を舞台にした歌は、以上、全部で四首でした。

小樽から釧路へと放浪した石川啄木の作品

続いて、小樽編です。

かなしきは小樽の町よ
歌ふことなき人人の
声の荒さよ

小樽市民が石川啄木に良い感情を持っていない原因と言われたのが、この作品です。

現在は、小樽市民にも受け入れられて、水天宮に歌碑が設置されました。

啄木は、小樽の町で明治41年の正月を迎えているのですが、あまり良い新年ではなかったみたいですね。

わが妻に着物縫はせし友ありし
冬早く来る
植民地かな

啄木にとっては苦渋の小樽時代ですが、作品としては非常に素晴らしいものがいくつも残されています。

平手もて
吹雪にぬれし顔を拭く
友共産を主義とせりけり

続いて、小樽から釧路へ向かう旅路の歌です。

みぞれ降る
石狩の野の汽車に読みし
ツルゲエネフの物語かな

汽車に乗って小樽を出発した啄木は、札幌経由で岩見沢入りし、姉夫婦の家に一泊しています。

石狩の美国といへる停車場の
柵に乾してありし
赤き布片かな

「美国」というのは「美唄」の間違いだろうということで、美唄駅前に歌碑が設置されています。

作品の収録順としては、札幌から小樽へ向かう途中に位置するので、違和感はあるのですが、、、

空知川雪に埋れて
鳥も見えず
岸辺の林に人ひとりゐき

これも作品の収録順が前後するのですが、滝川公園に歌碑が設置されています。

今夜こそ思ふ存分泣いてみむと
泊りし宿屋の
茶のぬるさかな

岩見沢から北へ向かって、啄木はさらに旭川で一泊しました。

旭川駅前に歌碑が設置されています。

時は明治41年1月20日、真冬の旭川は寒かっただろうなあ(熱いお茶もすぐに冷めてしまうはずです)。

そして、いよいよ釧路に到着です。

さいはての駅に下り立ち
雪あかり
さびしき町にあゆみ入りにき

明治末期、真冬の釧路を訪れた啄木の印象は「さびしき町」でした。

でも、釧路時代の啄木は、良い作品を残しているんですよね。

啄木ゆめ公園に歌碑が設置されています。

しらしらと氷かがやき
千鳥なく
釧路の海の冬の月かな

教科書にも採録されている、啄木の代表作のひとつです。

米町公園に歌碑があります。

よりそひて
深夜の雪の中に立つ
女の右手のあたたかさかな

釧路で啄木は「小奴」という女性(芸妓)と仲良しになります。

小樽で嫁と娘が待っているのに、何やってるんだ!という感じですよね。

現代で言う「恋愛脳」が激しかった「粘着さん」、それが石川啄木というロマンチックな歌人だったんですね。

しかし、ほぼ一年間の放浪生活は、啄木の文学魂を著しく消耗させました。

早く東京へ行って中央文壇で活躍したい!

そんな野望を抱いて、啄木は釧路を去る決心をして、北海道生活にピリオドを打ちます。

何だったんだ、北海道の一年間?という感じもありますが、漂流歌人としての石川啄木の魅力は、この北海道時代にあると、僕は思います。

啄木は、函館、札幌、小樽、旭川、釧路と、道内の主な観光地を移動しているので、啄木の足跡巡りをすると、ちょうど良い北海道観光にもなります。

歌集『一握の砂』を手に、北海道一周の旅なんていかがでしょうか?

まとめ

以上、今回は、北海道が舞台になっている石川啄木の作品をご紹介しました。

道内各地には、啄木の歌碑がたくさん設置されているので、歌碑を辿って旅行するのもありですね。

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kels
札幌住み歴38年目。「楽しむ」と「整える」をテーマに、札幌ライフを満喫しています。妻と娘と三人暮らし。好きな言葉は「分相応」。