秋になると思い出す短歌があります。
白玉の歯にしみとほる秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり
これは「酒の歌人」と呼ばれるほど、お酒が好きだった近代歌人・若山牧水の作品。
酒の飲めない自分でも、この気持ちはよく分かるような気がします。
お酒の好きな人だったら、なおさら共感できるのではないでしょうか。
一升瓶のサッポロビールを飲み干した若山牧水
さて、そんな若山牧水ゆかりの地が、札幌市北区の新琴似という地域にあります。
それが「北区歴史と文化の八十八選」にも選定されている「歌人・若山牧水来訪の地」です。
旅と酒をこよなく愛した歌人・若山牧水が喜志子夫人を伴い、この地を訪れたのは大正15年(1926年)11月14日。牧水が主宰する歌誌「創作」の社友・白水春二宅で一泊、新琴似短歌会同人と歓談した。ときに42歳。(歌人・若山牧水来訪の地)
9月24日午前、青函連絡船を降りて函館の地を踏んだ若山牧水が、鉄道で札幌入りしたのは、同じく24日の夜のこと。
この夜、札幌は凄まじい風雨でしたが、停車場通りの山形屋に投宿した牧水は、山下秀之助らと、夜遅くまで歓談したようです。

翌日は、楽しみにしていた植物園を見学して、農科大学(現在の北海道大学)で昼食を食べます。
この食堂でまたわたしは意地きたなをやった。まだ授業中のことで、食卓に酒は出なかった。ただわたしの前にだけ麦酒の壜が置いてあった。麦酒の壜といっても其処等の酒店に並んでいるのでなく、白鶴だの桜正だのの詰めてあると均しい一升壜で、これも此処自慢のサッポロ麦酒のなまが詰めてあるのである。(若山牧水「北海道行脚日記」)
この一升瓶のビールを、ほぼ一人で空けたというから、さすがは酒豪の歌人(笑)
この後、月寒の牧場を見学し、豊平館で夕食を食べた後で、牧水は、講演会場である札幌時計台に向かいます。
夕飯終って河合氏に別れ、我等は時計台というへ急いだ。講演会の時間が迫っていたからである。会は既に開かれ、聴衆は堂に満ちていた。(若山牧水「北海道行脚日記」)
この夜、藻岩館へと宿を移した牧水は、筋向こうにある札幌温泉でゆっくりと疲れを癒したそうです。
吹雪の新琴似に宿泊した若山牧水
この後、道内周遊へと出かけた牧水は、岩見沢、旭川、増毛、深川、名寄、紋別、野付牛、網走、池田、帯広、砂川、歌志内、夕張などを回って、再び札幌へ入り、新琴似に一泊したのが11月14日のことでした。
そして後に咫尺を弁ぜぬという吹雪に出会ったは十一月十四日、札幌から新琴似村に行く宵闇のなかであった。幌をかけた自動車の中で我等の膝掛毛布は忽ち白くなった。ふと見ると傍らの妻の髪が真っ白になっていた。オヤオヤと思っているうち自動車はパンク立往生した。止むなく足袋裸足になって歩いた。一夜を土地の郵便局長である我等が歌仲間の宅に過ごし、翌日は特に仕立ててくれた馬橇というものに生れて初めて乗った。(若山牧水「北海道雑観」)
翌日、札幌へ向かう際に乗った馬橇は、石炭や大根を積む無蓋橇で「鼻の頭に積っては消えてゆく雪の白さを面白く見詰めながら約一時間半を揺られて札幌の街に入った」と、牧水は回想しています。

9月から11月にかけて、秋の北海道を満喫した若山牧水でしたが、残念ながら、札幌を詠んだ歌は残されていません。
おそらく、お酒を飲む方に全力投球していたのではないかと思われます(笑)
それでも、この著名な歌人の来訪を記念して、新琴似には、牧水の来訪を記念する説明版が設置されています。
旅と酒を愛した歌人の足跡を辿って、秋の札幌を旅してみてはいかがでしょうか。
